西田敏行の嫁・寿子って誰?意外過ぎる馴れ初めに驚愕!

芸能界の重鎮・名俳優として確立している西田敏行さん。

NHK大河ドラマでは2022年放映「鎌倉殿の13人」をはじめ、数々のドラマや映画にシリアスな役柄からコミカルな役まで幅広い演技で活躍をされる俳優界でもっとも信頼されています。

そんな西田敏行さんには、寿子さんという嫁がいるという情報があります。

今回は、西田敏行さんを支えてきた嫁・寿子さんとの馴れ初めについて調べました。

Contents

西田敏行の嫁・寿子って誰?

 

 

西田敏行さんの嫁は、西田寿子さんと言います。

二人は1974年8月に結婚しており、当時西田敏行さんが27歳寿子さんは23歳でした。

嫁・寿子との馴れ初めは?

 

西田敏行さんと嫁・寿子さんが出会ったのは、西田敏行さんが入団していた劇団「青年座」に寿子さんが後に研修生として入団したことがきっかけです。

 

知り合った当時は、西田敏行さんが24歳で寿子さんは20歳の時です。

寿子さんも女優を目指して劇団に入団してのですが、西田敏行さんの猛烈なアプローチを受けて交際を深めていったのです。

 

しかし、当時の西田敏行さんはまだまだ無名で収入がない状態が続いていた為、寿子さんは劇団を退団し西田敏行さんを支えることを決断したのだそうです。

西田敏行の知られざる極貧生活

西田敏行さんは劇団「青年座」の主力俳優だったのですが、当時のギャラが脇役で3,000円、主役で最高8,000円でした。

掛け持ちでバイトもできるそうですが、主役級になると忙しくてバイトどころではなく主力になればなるほど生活が厳しくなっていったそうです。

公演チケットも自分たちで販売しなくてはいけない為、西田敏行さんもバイトどころではないみたいです。

 

西田敏行はどんな結婚生活?

 

 

結婚以前は西田敏行さんは寿子さんが借りていたアパートに泊まることが多く、いつしか同棲をするようになりました。

寿子さんは、役者として売れていない西田敏行さんを支えるため掛け持ちでアルバイトをして生活をしていたそうです。

 

西田敏行さんが役者として配役をもらえるようになると、結婚を決意し家賃35,000円の世田谷区の2Kアパートに引っ越しています。

 

結婚のアプローチ方法として、寿子さんが実家である大分県にいたときに、西田敏行さんは毎日何通もの手紙を出して結婚を迫ったそうです。

 

1977年に出演が決まったドラマ「特撮最前線」の出演を果たし、4000万円のマイホームを購入したとのこと。

結婚して以降、西田敏行さんの仕事が波に乗り、1978年には「西遊記」に猪八戒役として出演すればコミカルな役柄で人気ものになり、1981年放送NHK大河ドラマ「おんな太閤記」の豊臣秀吉役になると老若男女に認知されるようになっていきました。

西田敏行のプロフィール

 

 

名前:西田 敏行(にしだ としゆき)

生年月日:1947年11月4日(74歳)

出身地:福島県郡山市

血液型:B型

出身校:明治大学付属中野高等学校 卒業

職業:俳優・歌手・タレント

所属事務所:オフィスコバック

 

1988年に映画「釣りバカ日誌」の主演として抜擢され、合計22作品と2009年まで続いた代表作がある

この作品により西田敏行さんは第33回日本アカデミー賞会長功労賞を受賞しています。

 

 

またその演技の高さゆえに、NHK大河ドラマに多く出演しており、初出演の「新・平家物語」から2022年の「鎌倉殿の13人」までの14作品に出演し昭和・平成・令和の時代を超えて愛されている俳優です。

ちなみに、出演14作品の中でも1984年「山河燃ゆ」・1990年「翔ぶが如く」・1995年「八代将軍吉宗」・2000年「葵 徳川三代」の4作品は主演を演じています。

これまで放送された大河ドラマは57作品でそのなかでも最多出演をしています。

 

西田敏行に対する世間の声は・・

 

 

西田敏行さんが出演するドラマや映画作品に対する世間の声は・・・

 

 

 

どの作品においても違和感なく視聴している人を惹きつけ感動させる演技であるとの声が大多数あがっていました。

逆に違和感やダメだしをするような声が一切上がっていないことが凄い!!

西田敏行に子供はいる?

 

西田敏行さんと嫁・寿子さんとの間には娘さんが2人いることがわかりました。

1976年7月には長女の彩夏(さやか)さん

1977年に次女の梨沙(りさ)さん

がそれぞれ誕生しています。

 

実は、西田敏行さん長女の彩夏さんが共演しているCMが発見されています。

西田敏行さんの優しい雰囲気がいいですよね。ドラマの役柄でもわかるように子供たちにあったかい雰囲気がありますね。

娘達には「パパの宝物」という歌を作詞作曲し歌っていたそうです。

それは、娘達が父親としてそばに居てほしい時期に、芸能活動優先でなかなか面倒を見てあげられなかったことを後悔たことがきっかけだったとか。

現在の夫婦仲がヤバすぎた!

 

西田敏行さんと嫁・寿子さんは時々夫婦喧嘩をするそうです。

その度に昔西田敏行さんから送られてきたラブレターを取り出し

「(あなたと結婚して)どう責任取ってくれるの?」詰め寄る場面があったそうです。

そんな夫婦喧嘩をしていても50年以上一緒にいるのですから、夫婦仲が良い

ことは言うまでもないでしょう。

 

西田敏行さんは寿子さんに「育児がひと段落したら女優に戻ってもいいんだよ」と声をかけていますが、寿子さんは断りずづけていました。

寿子さん曰く、「夫は生涯現役」と周囲に話していました。

西田敏行さんの俳優の才能に惚れ込んでおり、自分の夢である女優としての夢を捨ててまで西田敏行を支えていこうと決意していのだそうです。

西田敏行さんに生命の危機

 

 

俳優業だけでなくバラエティー番組の司会や出演にも携わることが多くなってきた西田敏行さんですが、

 

01年11月、西田は首の骨が変形し手足のしびれなどが起こる頸椎症性脊髄症を罹患。

03年3月には心筋梗塞で緊急入院し、生死の境をさまよう事態に。近年も16年2月に、自宅ベッドから転落したことで首を痛め、頸椎亜脱臼に。その手術を4月に受けた直後、胆のう炎も発症していた。引用元:女性自身

今や西田敏行さんも年齢が70代に入りご高齢となっていろいろと生活に支障をきたしています。

そんな中、嫁・寿子さんは闘病中の西田敏行のずっとそばを支え、週刊誌でも車いすを押す姿を目撃されるなど献身的であることがわかりました。

 

 

「本人も体調を気にして整えようと、一生懸命頑張っていますし、節制しています。だから気力の衰えなんかもありませんよ。少し膝が悪いので、食事や減塩にも気をつけています。いまは歩くときに少し杖を使ったりもしていますけれど、本人はいたって元気ですよ」

 

そして、西田の“引退危機”について話が及ぶと、寿子さんは力強い声でこう答えた。

 

「そんなことはまったくないですよ。大丈夫。主人は、死ぬまできっと現役です。お仕事さえいただければ、続けていきたいと思っているんじゃないかしら」引用元:女性自身

 

西田敏行さんと二人三脚歩んできた俳優人生を最後まで信じて支える覚悟がこのコメントでわかります。

現在では西田敏行さんも体のことを気遣いながら仕事量を調節しているため、家族との時間を大切にしたいと思っているのではないでしょうか。

 

才能にほれ込み、自分の夢を捨ててまで長年に渡り支え続けることができる嫁・寿子さん。

西田敏行さんの陰の功労者であることは間違いないでしょう!

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