日本の歌舞伎界において有名な市川海老蔵さん。
妻でアナウンサー・キャスター・タレントとして有名だった小林麻央さんが早くに乳がんで亡くなられたこともあり、多くの方々から注目された過去もありますね。
小林麻央さんが死んだ後に市川海老蔵さんがお一人でまだ幼い娘と息子の育児に奮闘している姿もよくスクープされています。
現在では、市川海老蔵の弟子として四代目市川ぼたんを襲名して話題にもなった麗禾(れいか)ちゃん。
歌舞伎の稽古だけでなく、2018年にお受験にみごと合格して小学校に入学したことも話題になりました
そんな中、ファンの間ではどこの幼稚園・小学校に通ってるのかも話題になってます。
今回はそんな海老蔵さんの娘・れいかちゃんの幼稚園・小学校についてまとめてみました。
Contents
市川海老蔵の娘は父親と同じ学校だった
市川海老蔵の娘・麗禾(れいか)ちゃんが入学したのは青山学院初等部。
母親である小林麻央さんの母校でもあります。
また海老蔵さんも高校まで過ごしていますから、思い出の地というわけですね。
麻央さん自身も、生前はこちらへの入学を熱望されていたので見事母の願いをかなえた事にもなります。
れいかちゃんはその他にも、慶応義塾幼稚舎に補欠合格もしています。
青山学院初等部の受験倍率は5倍以上、
一度入学すれば内部推薦で大学まで進学が約束されています。
有名大学への切符が手に入るということで、お受験業界ではかなり人気のある学校。
忙しい毎日を送る海老蔵さんですが、2017年に11月に1週間仕事をお休みしてお受験の為に走り回っていたようです。
その甲斐あって、超難関校に見事合格となりました。
梨園の生まれである以上、歌舞伎の稽古の比重が高くなるはずです。その為、中学~大学受験を避けるべく青山学院初等部に通うことにしたのでしょう。
市川海老蔵さんの娘が通う青山学院初等部とは
青山学院と言えば青山大学が有名ですが、青山学院初等部はその青山学院大学の所属小学校です。
青山学院は
・青山学院幼稚園
・青山学院初等部
・青山学院中等部
・青山学院高等部
と付属校を有しています。
これらのどこかに入園入学すればすれば入試なしで大学まで内部進学ができます。
青山学院中等部や高等部は偏差値70前後で子供自身の学力が重要となってきます。
青山学院幼稚園・初等部はお受験業界でもトップクラスの人気校となっています。
このようにお受験の最高峰として有名となった青山学院ですが、古くから歌舞伎界や角界御用達の学校としても有名ではありますが、近年では芸能人の子供が多数通う学校としても知られるようになりました。
青山学院初等部の芸能人の子供
市川海老蔵さんと小林麻央さん夫婦の長女・れいかちゃん意外にも芸能人の子供たちが多く通われているそうです。
2018年度入学は
篠原涼子さんと市村正親さん夫婦の次男
長谷川京子さんと新藤晴一さんの長女
阿部寛さんの長女
といった多くの芸能人の子供たちがいるようです。
実は青山学院幼稚園は一度辞めていた?
じつは市川海老蔵の娘・れいかちゃんと息子・観玄くん
世田谷区にある淡島(あわしま)幼稚園に入園しています
なぜ、青山学院幼稚園の進学をやめていたのか?
それは、小林麻央さんが乳ガンになってしまった為に実家から近い幼稚園にしたからだそうです。
淡島幼稚園ってどんなところ?
正式名称は『学校法人 森厳寺学園 淡島幼稚園』です。
幼稚園でありながら、教育レベルが非常に高いと評判にあります。
園の立地、環境周辺、施設の広さから都内でも指折りの幼稚園です。
母体が森厳寺というお寺であり、幼稚園の前身は江戸時代の寺小屋からきているそうです。
理事長がお寺の住職で仏教系の幼稚園ですが、英語教育にも力を入れておりネイティブの外国人が指導と偏りがないのが良いですね
仏教を主体とした教育内容で授業内容にも座禅や説法など特徴的な授業もあるみたいです。
セキュリティが万全で警備員が沢山配備されており、運動会などのイベントでは名札を貰わないと入れないそうです。
その分費用がお高い月約5万円他、年初にも別途5万円の支払いなど経済的に余裕のある家庭が通われている幼稚園です。
市川海老蔵さん一家は、TVで特集されるほどの注目度だけにセキュリティはしっかりしている場所ではないと安心して通わせることはできませんよね。
幼き頃から歌舞伎界のプリンスと注目されていた市川海老蔵さんだからこそ、自身の子供たちにも安心して通ってほしいとの願いがあったのかもしれませんね。
市川海老蔵の娘・麗禾(れいか)ちゃんの将来は?
市川海老蔵さんの娘・麗禾(れいか)ちゃんはどのような将来を歩むのでしょう。
現在、麗禾(れいか)ちゃんは四代目市川ぼたんを襲名しています。
三代目の市川ぼたんは、市川海老蔵さんの妹の堀越 智恵子さんが襲名しておりました。
意外と知らない『市川ぼたん』の名跡とは
この市川ぼたんという名跡は、明治後期から昭和初期にかけ演劇革命運動を牽引した二代目市川左團次の幼名で、
三代目ぼたん自身が史料を調べ「由緒あるこの名を名乗りたい」と思って引き継いだとか。
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その襲名以来、三代目ぼたんさんは今は亡き父親(市川團十郎)の遺志でもある「日本舞踊を広めたい」という思いを受け継ぎ。歌舞伎舞踊の流派のひとつである市川流を支えるために現在は力を注いでいるそうです。
そして、市川海老蔵さんの娘・麗禾(れいか)ちゃんも母親がガンで闘病中に三代目市川ぼたんさんが母親代わりとして面倒をみてもらううちに、自身も歌舞伎界に関わりたい意思が芽生えたのかもしれませんね。
海老蔵は「本人も『舞踊、歌舞伎をやりたい』と。その意志を尊重した」と説明し「歌舞伎というのは、男性中心の伝統文化。しかしながら、それではこの時代はいけないだろうと。私は父も他界して三代襲名ができなかった。女性の方では、叔母、妹、娘が三代襲名ができる。こんなめでたいことはなく、話を進めるうちにやりたくてしょうがなかった」と経緯を明かした。 引用文:ORICON NEWS
2011年7月に幼いながらもわずか7歳で四代目市川ぼたんとして襲名を果たすのです。
四代目市川ぼたんとして、市川流日本舞踊を継承するだけでなく現在通われている青山学院で国際的な文化を学びながら世界へ羽ばたく日本人として成長していくのでしょう。
市川海老蔵の娘が歌舞伎役者になれない理由
そこで一つ疑問に思うことがありませんか?
何故、市川海老蔵さんの娘・麗禾(れいか)ちゃんは歌舞伎役者として襲名できなかったのか?
それは江戸幕府の禁止によって女性の歌舞伎役者が排除されてしまったからです。
歌舞伎は今から400年以上前に『阿国(おくに)』という人物が、京都で舞台にあがり、評判を得たことから始まったと言われています。
阿国は女性の芸能者で、男装ぢゃ奇抜な衣装を身に付けて演じるなど『傾いた(かぶいた)』演出で人気者になったことが「歌舞伎」の語源とされています。
そもそも女性から始まったものが今でいう「歌舞伎」なのです。
この阿国人気にあやかり、各地で遊女や女性芸人が多数現れたことで風紀が乱れてしまい、上演が禁じられてしまいました。
その後、歌舞伎役者は男性のみとされ、現在までその形式が継承されているのです
そして市川海老蔵さんの娘・麗禾(れいか)ちゃんもまた、歌舞伎役者になれない理由なのです。
現代の時代にそぐわない伝統ではありますが、伝統を守ってきたからこそ江戸時代から継承し現在まで残っている日本文化『歌舞伎』が世界をも魅了しているのではないでしょうか。
それよりも、今後市川海老蔵さんの娘・麗禾(れいか)ちゃんが成長と共にどのような活躍をみせてくれるのか楽しみでなりませんね。
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母親の麻央さんの母校は青山ではなく上智大学ですよね。